海老名耕地から有馬耕地にかけての水田地帯には大規模な方形の区角割りがあり、現在でも道や道路にその痕跡が残っています。この区画割りは、奈良時代の班田収授に基づく口分田のためのものとの説があり、口分田の大きさを縄を使って測ったことから、そのまま地名として残っています。※海老名市公式ウェブサイト参考
住所:海老名市めぐみ町
アクセス:海老名駅西口より徒歩6分
駐車場:なし
日蓮宗駿州富士郡北山本門寺末です。「風土記稿」によれば、創建は文保年間(1317~18)とされています。江戸時代には慶安2(1649)年に、土地9石1斗について朱印地(将軍名の「朱印状」発給による寺社領地で、年貢や課役の免除が保証される)とされていました。
本尊は十界勧請大曼荼羅です。また、木造日蓮聖人坐像(像高35.7センチメートル)や延宝7(1679)年に奉納されたと思われる木造子安鬼子母神立像(像高49センチメートル)、日蓮宗大荒行堂にて感得された木造大黒尊天神(像高36センチメートル)等が祀られています。
山門には伝左甚五郎作の龍の彫刻が施されています。この龍が池の弁天様と遊んで参詣人を驚かせたため目に釘を打たれて釘付けとなり、後改心して、お寺や客人を守ってきたとの言い伝えが残っています。
境内に現存する樹齢400年の柏の木は、日蓮聖人が富士宮黒田存の本光寺に来て説教されたとき、村人が柏餅をこしらえて供したところ、聖人が大層喜んで食したという故事に因んで植えられたともいわれています。
住所:海老名市社家2-8-1
TEL:046-231-1608
アクセス:社家駅より徒歩11分
駐車場:あり
史跡相模国分寺跡
史跡相模国分尼寺跡
史跡相模国分寺跡、史跡相模国分尼寺は、天平13(741)年に聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建てられた寺院跡で、国指定の史跡になっています。
国分寺跡の広大な土地は、市民の憩いの場として利用されています。
昭和17~19(1942~1944)年、相模湖ダム建設により水没する旧津久井郡日蓮村勝瀬(現・相模原市緑区藤野町)が海老名に集団移転することになりました。
鳳勝寺は、勝瀬の住民とともに現在地に移転してきました。
「新編相模国風土記稿」では、山号を春日山、功雲寺(相模原市緑区根小屋)の末寺とされています。
本尊は、木造釈迦三尊像で、釈迦如来坐像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩坐像いずれもその作風から江戸時代前期に造像されたと考えられています。
また、宗風の宝冠釈迦の形態をもちその作風から室町時代南北朝期(14世紀)に造像されたと考えられる木造釈迦如来坐像、江戸時代後期に仏師宗女によって造像されたと考えられる阿弥陀如来坐像、いずれも江戸時代と考えられる達磨大師像や大権菩薩像、韋駄天像、十二神将像なども安置されています。
創建時代は不明ですが、開山は法泉(?~1521)と伝えられることから室町時代中頃に建立されたと考えられます。
住所:海老名市勝瀬10-1
TEL:046-231-4142
アクセス:海老名駅東口より相鉄バス「海老名中学校」徒歩5分、または海老名駅東口より徒歩20分
駐車場:あり