歴史– category –
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有鹿姫の碑
悲恋の姫君が相模川に投身すると、蛇体となり海老名の川辺に流れ着いたので、これを不憫に想い、里人が小祠に祀りました。現在、有鹿小学校の敷地(有鹿神社の元境内地)の一角に「有鹿姫之霊地史跡」の碑が立てられています。 住所:海老名市河原口3-13付... -
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居合坂
柏尾通大山道の居合坂 坂を上がりきった辺りの字名が「居合」であるためこの名がついたといわれています。「居合」の由来は、入会地(村民の共有地)が転訛した、川などの水流の合流地点があったことから、泉・用水・井堰を表す「井」が「居」に転訛した、... -
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一大繩
地名に残る古代からの水田地帯 海老名耕地から有馬耕地にかけての水田地帯には大規模な方形の区角割りがあり、現在でも道や道路にその痕跡が残っています。この区画割りは、奈良時代の班田収授に基づく口分田のためのものとの説があり、口分... -
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内出稲荷
鎌倉時代の武士団である海老名氏の一族に国分氏がおり、国分の地に館を構えたのではないかといわれています。内出稲荷は、この国分氏の屋敷の鬼門除けとして建立されたとの伝承があります。 住所:海老名市国分北1-5 アクセス:海老名駅西口より徒歩11分、... -
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海老名氏霊堂
海老名氏は、源有兼が永久元(1113)年から4年間相模守として当地に在任し、 その当時武蔵・相模の武士団であった横山氏と婚姻関係を結び、生まれた季兼が在地名の海老名氏を名乗ったとされています。 海老名氏は「吾妻鑑」や「曾我物語」にも登場する有名... -
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海老名氏記念碑(上郷遺跡)
海老名氏の記念碑には、上郷遺跡の道を挟んだ南側にあります。 上郷遺跡は、畑の耕作中に偶然発見された遺跡です。発掘調査により、五輪塔や板碑、集石遺構が確認されました。板碑は室町時代の年号が彫られたものが大半を占めており、御屋敷などの小字名や... -
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お松の碑
寛文2(1662)年鳩川の氾濫を防ぐため治水工事が行われました。この際、村の娘お松が人柱になったことから村人がお松の供養塔(地蔵尊)を建て、かたわらに榎を植えました。地蔵尊は1970年代になくなってしまいましたが、平成5(1993)年に地元の人が新た... -
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かいな坂
護王姫の伝説の中で、この坂辺りで追討軍に追いつかれ、護王姫の護衛兵は全員討ち死、護王姫の生んだ子供も追討兵に殺されてしまったといわれています。護王姫も子供も守れなかった「不甲斐ない」家臣達がこの坂で討ち死にしたことから「不甲斐ない坂」と... -
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護王姫の碑
永亭の乱(1438年)のおり今泉館から当主・一色伊予守六郎の妻である護王姫が落ち延びる際の出産にまつわる伝説があります。 また、護王姫を供養する目的で、江戸時代に建てられたと伝えられている石碑が残っています。 住所:海老名市上今泉6-20-11付近 ... -
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逆川跡記念碑
逆川は相模国分寺建立の資材を運ぶため、目久尻川から水を引いた運河であったと考えられます。船着き場とみられる場所からは階段跡が見つかっています。 住所:海老名市国分南1 アクセス:海老名駅東口よりコミュニティバス国分ルート「相模国分寺跡」下...