歴史

史跡秋葉山古墳群

国指定の史跡となっています。
3世紀~4世紀にかけて造営された古墳群。計6基の古墳が確認されています。

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本郷神社

本郷神社(本殿)
 
本郷神社(天満宮)

鎮座地は本郷字本宿です。明治7(1874)年3月に、神明社・八幡社(八幡宮)・山王宮・白山社・稲荷社が合祀されて五社宮と称するようになりました。その他に、境内神社 天満宮があります。
大正5(1916)年10月に本郷神社と改称、村社に列せられました。昭和8(1933)年4月に本殿・拝殿を新築し、現在に至ります。昭和8(1933)年10月に白山社・稲荷社が合祀されました。

住所:海老名市本郷2656
アクセス:門沢橋駅より徒歩20分、または 海老名駅と寒川駅を結ぶ路線バス「下河内」下車徒歩5分
駐車場:数台(鳥居の前)

路線図等の詳細は、下記「海老名市ホームページ」をご覧ください。

 海老名市」ホームページ


貴日土神社

貴日土神社(本殿) 貴日土神社(鳥居)
貴日土神社(手水鉢)貴日土神社(社)

鎮座地は中河内字旭です。明治8(1875)年10月に、中河内村内の弁財天・稲荷・金比羅の3社を合祀して創建されました。神体は丸石です。
本殿は、金比羅社(旧河内村の鎮守)の本殿を充当したものといわれています。
境内に文久2(1862)年8月に、佐藤八左衛門が寄進した手水鉢がありますが、これは合祀以前の3社のいずれかのものと思われます。
「貴日土」の社名は、中河内村の寺子屋の師匠植田佐兵衛が、農業にとって大切な「日を貴び、土を貴ぶ」という意味で名づけたといわれています。明治24年に改築されています。
また、境内には武州御嶽大神を祀った社があります。

住所:海老名市中河内1743
アクセス:海老名駅東口と寒川駅を結ぶ路線バス「中河内」下車徒歩5分、または海老名駅東口より神奈中バス「上河内」下車徒歩11分
駐車場:10台(大型車不可)

路線図等の詳細は、下記「海老名市ホームページ」をご覧ください。

「海老名市」ホームページ

 


増全寺 

増全寺_福禄寿

開山は因公学円上人、武州滝山大善寺末寺で、本尊は弥陀三尊、阿弥陀如来は江戸期のもので、慈覚大師作と伝えられています。 また、「七福神」の「福禄寿」のお寺としても知られています。

住所:海老名中新田2-15-36
TEL:046-232-3623
アクセス:厚木駅より徒歩7分
駐車場:あり

増全寺ホームページ


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国分寺

国分寺2

境内には鎌倉時代の海老名氏一族の国分季頼が国分尼寺に寄進した銅鐘や海老名に伝わる昔話「尼の泣水」に縁のある如意輪観音像が境内に安置されています。
銅鐘は国指定の重要文化財となっています。

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鈴木三太夫霊堂

 

鈴木三太夫霊堂

貞享元(1684)年大谷村の名主鈴木三左衛門(三太夫は諡号=おくりな)は領主の旗本町野幸重の厳しい年貢に村人が苦しんでいることを見かねて、幕府に直訴を企てましたが、事前に発覚し捉えられ、今里にある代官所で斬首されました。
この話は、大谷村で語り継がれてきました。昭和13(1938)年地域の方が「鈴木三太夫頌徳碑」を建てることになり、郷土史家中山毎吉氏が撰文を草稿しましたが、戦時下の当局の圧力で刻まれませんでした。中山氏の撰文は当地の児島家に残され、これを元に小島直司氏が分かりやすくまとめたものにより昭和48(1973)年に大谷自治会によって現在の頌徳碑が建立されました。
処刑場跡は、中央農業高校内にあり、記念碑が残されています。

住所:海老名市大谷南1-3付近
アクセス:海老名駅東口より相鉄バス「大谷宿」下車徒歩1分
駐車場:なし


妙泉寺

外観

本殿 妙泉寺 境内 (サイズ変更)          

正式には「正蓮山 妙泉寺(しょうれんざん みょうせんじ)」と呼びます。

日蓮宗、妙純寺(愛甲郡金田村(現在の厚木市))の末寺です。
本尊は三宝祖師で、元和8(1622)年、正蓮院日養上人が起立しました。
大正12(1923)年、関東大震災で全壊した本堂と庫裡を再建。
昭和6(1931)年、三宝尊像を修復。
昭和57(1982)年、本堂と庫裡を再建し、宗祖700遠忌報恩事業としました。

また、宗教的行事で使うだけではない、市民に親しみを持ってもらえるような開かれたお寺作りを目指し、寺子屋や映画鑑賞、婚活行事、チャリティーイベントなどを開催しています。

東日本大震災以後、東北の復興活動に力を入れ、大量の物資を運搬するのみならず、福島県南相馬市の子どもたちと海老名市の子どもたちの交流キャンプの開催地にもなりました。

住所:海老名市中野1-6-3 
TEL:
046-238-3486
アクセス:社家駅より徒歩11分
駐車場:15台



内出稲荷

(内出稲荷)

鎌倉時代の武士団である海老名氏の一族に国分氏がおり、国分の地に館を構えたのではないかといわれています。内出稲荷は、この国分氏の屋敷の鬼門除けとして建立されたとの伝承があります。

住所:海老名市国分北1-5
アクセス:海老名駅西口より徒歩11分、または海老名駅西口よりコミュニティバス上今泉ルート「内出稲荷」下車徒歩2分
駐車場:なし


産川橋

(産川橋)

永亭の乱(1438年)のおり今泉館から当主・一色伊予守六郎の室である護王姫が落ち延びる際に産気づき子供を出産したことからこの地名が生まれたとの伝説があります。

住所:海老名市上今泉6-20-11付近
アクセス:かしわ台駅西口より徒歩6分
駐車場:なし


尼の泣き水 供養塔

(尼の泣き水碑)

[朝日さし 夕日輝く 国分寺 いつも絶えせぬ 尼の泣水]誰が歌ったものかはわかりませんが、この歌とともに「尼の泣き水」伝説が語り継がれています。天平13(741)年、聖武天皇は人々の平和な生活を願って、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。相模国では、風光明媚な土地である海老名の地に建てられることになりました。やがて天をつくような七重塔がある国分寺が建てられ、そこから北に500mほど離れた場所に国分尼寺も建てられました。その頃、国分寺の下を流れる相模川で、魚を取って暮らしていた若い漁師がいました。その漁師はいつしか国分尼寺の尼さんと知り合い、たがいに愛し合うようになりました。尼さんは結婚が禁じられていましたので、2人は人目を忍んで逢瀬を重ねていました。ある日のこと、若者が困った顔をしているので尼さんは何か心配事があるのですか、とたずねました。若者はなかなか口を開かなかったのですが、やがて決心し、七重の塔を含めた屋根の飾りがあまりにまぶしく輝くので魚が逃げてしまい、漁をしても魚が取れないと話しました。尼さんはどうすることもできないので、だまってしまい、2人はさびしそうにその場は別れていきました。その夜のことです。「火事だー。火事だー。国分寺が燃えているぞー」漁師のことを思うあまりに尼さんが国分寺に火をつけたのです。一度燃え始めた国分寺は、消すこともできず、一晩のうちに焼けてなくなりました。尼さんは捕らえられ丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられてしまいました。その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出ました。村人は尼さんが罪をわびて流している涙といって、その湧き水を「尼の泣き水」と呼びました。尼の泣き水は海老名小学校の上の台地にあって、昭和40年代頃まで清水が湧きでていましたが、いつとなく枯れてしまいました。またこの場所に供養塔が建てられましたが、薬師堂(現国分寺)境内に移されています。 

住所:海老名市国分南1-25-38
TEL:046-232-8212

アクセス:海老名駅東口より徒歩10分、または海老名駅東口よりコミュニティバス国分ルート「相模国分寺跡」下車2分
駐車場:あり

海老名市ホームページ