歴史

かいな坂

(かいな坂)

護王姫の伝説の中で、この坂辺りで追討軍に追いつかれ、護王姫の護衛兵は全員討ち死、護王姫の生んだ子供も追討兵に殺されてしまったといわれています。護王姫も子供も守れなかった「不甲斐ない」家臣達がこの坂で討ち死にしたことから「不甲斐ない坂」となり、「かいな坂」と転化したといわれています。

住所:海老名市上今泉1-8付近
アクセス:海老名駅東口より神奈中バス「上今泉」下車5分
駐車場:なし


お松の碑

お松の碑

寛文2年(1662)鳩川の氾濫を防ぐため治水工事が行われました。この際、村の娘お松が人柱になったことから村人がお松の供養塔(地蔵尊)を建て、かたわらに榎を植えた場所です。地蔵尊は1970年代に盗まれてしまいましたが、平成5年(1993)に地元の人が新たなお松地蔵尊を建立しました。また、この地はお松の榎から榎戸という地名が残っています。お松の碑の周辺の休耕田にはめずらしい小さなホシクサが生育しています。刈り入れの頃に咲く小さな花は白い星を思わせます。

住所:海老名市上今泉1701先
アクセス:海老名駅東口より神奈中バス「中心学園入口」下車3分
駐車場:なし


海老名氏霊堂

海老名氏霊堂

海老名氏は、源有兼が永久元年(1113)から4年間相模守として当地に在任し、
その当時武蔵・相模の武士団であった横山氏と婚姻関係を結び、生まれた季兼が在地名の海老名氏を名乗ったとされています。
海老名氏は「吾妻鑑」や「曾我物語」にも登場する有名な武将です。
海老名氏はのちに海老名氏、本間氏、国分氏、下海老名氏、荻野氏に分家します。
海老名氏は、和田義盛の乱で和田方について敗北し、大きく勢力をそがれます。
そして、永亭の乱で足利持氏方についたため本家は滅んだとされます。
霊堂には宝篋印塔や五輪塔の一部が納められています。

住所:海老名市河原口3-8付近
アクセス:厚木駅より徒歩16分
駐車場:なし


海老名氏記念碑
(上郷遺跡)

海老名氏記念碑

海老名氏の記念碑には、上郷遺跡の道を挟んだ南側にあります。
上郷遺跡は、畑の耕作中に偶然発見された遺跡です。発掘調査により、五輪塔や板碑、集石遺構が確認されました。
板碑は室町時代の年号が彫られたものが大半を占めており、宝樹寺跡の存在から、
この地を治めた海老名氏に関係する墓地ではないかと考えられています。

住所:海老名市河原口3-28付近
アクセス:海老名駅東口より徒歩16分
駐車場:なし


浅井の水

140101052A(浅井の水)

鎌倉時代に清水寺が再興された時に堂前から清水が湧き出したことから清水寺の寺名となったと言い伝えられています。
この清水が「浅井の水」と呼ばれ、池の中には宇賀神という石造の水神様がまつられています。現在、水は枯れかけています。
清水寺は江戸時代に東の丘に移転しましたが、このような由来から地元の人は今でも清水寺本堂(龍峰寺・観音堂)を水堂と呼んで親しんでいます。

住所:海老名市国分北1-24付近
アクセス:海老名駅西口より徒歩12分
駐車場:なし


尼の泣き水 供養塔

(尼の泣き水碑)

[朝日さし 夕日輝く 国分寺 いつも絶えせぬ 尼の泣水]誰が歌ったものかはわかりませんが、この歌とともに「尼の泣き水」伝説が語り継がれています。天平13年(741)、聖武天皇は人々の平和な生活を願って、国ごとに国分寺と国分尼寺を建てるように命じました。相模国では、風光明媚な土地である海老名の地に建てられることになりました。やがて天をつくような七重塔がある国分寺が建てられ、そこから北に500mほど離れた場所に国分尼寺も建てられました。その頃、国分寺の下を流れる相模川で、魚を取って暮らしていた若い漁師がいました。その漁師はいつしか国分尼寺の尼さんと知り合い、たがいに愛し合うようになりました。尼さんは結婚が禁じられていましたので、2人は人目を忍んで逢瀬を重ねていました。ある日のこと、若者が困った顔をしているので尼さんは何か心配事があるのですか、とたずねました。若者はなかなか口を開かなかったのですが、やがて決心し、七重の塔を含めた屋根の飾りがあまりにまぶしく輝くので魚が逃げてしまい、漁をしても魚が取れないと話しました。尼さんはどうすることもできないので、だまってしまい、2人はさびしそうにその場は別れていきました。その夜のことです。「火事だー。火事だー。国分寺が燃えているぞー」漁師のことを思うあまりに尼さんが国分寺に火をつけたのです。一度燃え始めた国分寺は、消すこともできず、一晩のうちに焼けてなくなりました。尼さんは捕らえられ丘の上に生き埋めにされ、竹のこぎり引きの刑に処せられてしまいました。その後、不思議なことに、その場所から一滴二滴と湧き水が流れ出ました。村人は尼さんが罪をわびて流している涙といって、その湧き水を「尼の泣き水」と呼びました。尼の泣き水は海老名小学校の上の台地にあって、昭和40年代頃まで清水が湧きでていましたが、いつとなく枯れてしまいました。またこの場所に供養塔が建てられましたが、薬師堂(現国分寺)境内に移されています。 

住所:海老名市国分南1-25-38
☎046-232-8212

アクセス:海老名駅東口より徒歩10分、または海老名駅東口よりコミュニティバス国分ルート「相模国分寺跡」下車2分
駐車場:あり

海老名市ホームページ

 


戸田の渡し跡
 

戸田の渡し②[1]

江戸時代、この渡しがあることで門沢橋の宿場は大いに賑わったといわれています。安藤広重の浮世絵に当時の様子が描かれていたことでも有名です。

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逆川跡記念碑

逆川2_1逆川

逆川は相模国分寺建立の資材を運ぶため、目久尻川から水を引いた運河であったと考えられます。船着き場とみられる場所からは階段跡が見つかっています。

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海老名市立
歴史資料収蔵館

海老名市立歴史資料博物館(市HP素材)

市の歴史、文化等に関する古文書、写真、地図などの資料を収集、整理や保管を行い、海老名のことを知りたいときや調べたいときに利用することができます。

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今福薬医門公園

 

薬医門薬医門②

歴代の当主が植えた樹木などによる屋敷林が貴重です。この公園には、珍しい薬草や樹木、江戸時代末期に建てられた蔵と薬医門があり、緑豊かな場所で四季を感じることができます。

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